プロジェクトの立ち上がりについて教えてください。
Y.M.
万が一東京データセンターが被災しても、切り替え作業を行わず大阪データセンターだけで『セコム安否確認サービス』が継続して提供できるように、両方のデータセンターが常にデュアルでアクティブ稼働している状態にするプロジェクトです。私は全体の管理監督に当たり、開発リーダーはK.T.さんが務めてくれました。
K.T.
これまでに経験したことが無い大きなプロジェクトでしたが、必ずやり遂げてみせると思いました。特に不安はありませんでしたね。
T.K.
私もモチベーションは高かったです。サービスの安定性を向上させることでお客様により高品質なサービスを提供することができますし、同時に自分自身のスキルアップにもつながると思いました。
T.Y.
私はK.T.さんがいつも活躍されている姿を見て、自分もいつかは誰からも頼りにされる存在になりたいと思っていました。だから今回抜擢されたときはとても嬉しく、「K.T.さんと一緒に仕事ができる!尊敬する先輩からいろんなものを吸収してやろう」と奮い立ちました。
Y.M.
みんな非常に前向きで頼もしかったですね。私の本音を言えば、技術的な課題は多く、しかもスケジュールがとても厳しいものでしたので、現実的な計画に落とし込めるだろうかと途方に暮れました。万が一、うまくいかなかったときに社会に与える影響も非常に大きいですし。
K.T.
確かにタイトなスケジュールでしたね。しかしアサインされたメンバーを見て、彼らなら必ずやり遂げてくれると確信しましたよ。T.Y.さんは当時はまだ経験が浅かったですが、今回のプロジェクトでたくさんのことを吸収して、今後の主軸になってほしいと期待しました。
T.Y.
ありがとうございます。とにかく先輩方の足を引っ張らないように自分にできることに集中しようと、自分に言い聞かせました。
T.K.
プロジェクトが立ち上がったのは2021年11月で、メンバーは10数名でしたね。
K.T.
進め方としてはメンバーがそれぞれのタスクをこなし、毎週の定例会で進捗状況を共有。都度発生する課題についてその解決策を話し合う進め方で、一般的なプロジェクトと大きく変わりはありませんでした。ただしY.M.さんが言ったように、技術的な難易度は非常に高かったです。
Y.M.
東京と大阪のデータセンターで同じプログラムが動き、同じデータを持ち続けることがこのプロジェクトの大前提です。アクセスの受付も両センターでできるようにしなくてはいけませんでした。インフラ構成を大規模に変更する案件でしたので、1つのミスでも影響は大きく、慎重に進めていかなくてはなりません。しかもスケジュールに余裕はなく、常に緊張感を持って取り組みました。
T.Y.
私はK.T.さんのもとで、東京・大阪がともにデュアルアクティブになった際の性能評価を担当しました。インフラ系の基盤に携わりながらの仕事は初めてでしたので、ものすごく重要な仕事だと興奮しながら取り組みました。